2017年01月26日

【【俳句を一句】

寒風に
梅も微笑む
春を待つ
(梅園に来たお客さんが綺麗ねとほほ笑む姿と梅がほころぶ風景を歌う)
凡人ですか~?  


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2017年01月21日

【弁当祭り】

【恒例京王元祖有名駅弁・うまいもの大会】
昨日と今日

押すな押すなの大混雑長崎の弁当なし鯨弁当食いたか~長崎かんぼこ食いたか~
  


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2017年01月18日

【サッカーのプロ化に尽力した】

日本サッカーのプロ化に尽力した“命懸けでJリーグ生んだ男”木之本興三氏、死去 68歳心不全
 1949年(昭24)1月8日、千葉市生まれ。東京教育大(現筑波大)から72年に古河電工入社。
83年に日本リーグ事務局長に就任。発足に尽力したJリーグでは常務理事、専務理事などを務めた。03年7月に健康上の理由でJリーグ専務理事を退任。その後、難病で両足を切断したが、日本サッカー界への提言を続け13年に「日本サッカーに捧げた両足」を出版した。 1993年2月、Jリーグ日程発表に臨む

 古河電工(現J2千葉)の選手だった26歳の時に致死性のグッドパスチャー症候群を発症し、腎臓を全摘出して引退した。
91年にJリーグ発足後はJリーグ理事や関連会社の社長を兼任。日本協会では02年W杯日韓大会で日本代表の団長を務めた。 大会直前には欧州視察中のトルシエ監督に代わり、23人のメンバーを発表。会見15分前に指揮官から電話で伝えられた名前を読み上げ、中村俊輔の落選は日本中に衝撃を与えた。選手や協会と衝突し続けたトルシエ監督が、一目置く数少ない幹部の一人でもあった。
 地域密着の理念づくりに尽力し「命懸けでJリーグをつくった男」と言われた。
 2004年以降、株式会社エス・シー・エス代表取締役、フクダ電子アリーナ名誉会長、アブレイズ千葉SC代表を務め多忙な日々を送った。
   


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2017年01月17日

三島由紀夫テープ

東京都新宿区の防衛省・市ケ谷記念館
 11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。
 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。
三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。
 今でも事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。
その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。
子供のころだったな、まだ日本に武士の精神持つ自衛隊員いたのだなおもつた。
『番組で放送された録音テープの内容』

・憲法について
 「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」

・思想の主張について
 「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。
文体でしか思想が主張できない」

・死について
 三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと
思うんです。死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」

・自らの行動について
 三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。僕が死んでね、
50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん。
生きているうちは人間はみな何らかの理由でピエロです」

 ベスター氏「神様がわれわれに…?」

 三島「人形芝居をやらせている。人生でね、ひとつの役割をね、パペット・プレーを強いられているんですね」

 ・自身の小説について
「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックで
ありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような 小説は僕には書けない」

・自身の作品について
 「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。
日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」



  


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2017年01月16日

【作家の三島由紀夫 】

自決9か月前、三島由紀夫の自決する約9か月前の肉声テープ見つかる

作家の三島由紀夫(1925~70年)約1時間20分にわたって生々しく語っている。
 自らの文学の「欠点」自決に向けて具体的な行動を構想し始めた頃の対談
ダビングされたものが資料ロッカーに保管されており、「三島由紀夫とジョン・ベスターの対談」と記され「使用禁止」(放送禁止)扱いにされていたのを社員が発見した。
 テープはイギリスの翻訳家ジョン・ベスター氏(1927~2010年)と日本語で行った対談を収めたもので、東京・赤坂のTBSの社屋内で見つかった。
音声はTBS提供 2017年1月12日公開される予定だ。

三島由紀夫――本名・平岡公威(きみたけ)が生まれたのは大正14年1月14日。
 父は農商務省の高級官僚、母は有名漢学者の娘という、まさに非の打ち所のない「エリート家庭」の出身でした。
実の父母にも授乳の時以外会わせなかったといわれています。外で遊ばせることは一切なく、遊びといえばままごとや折り紙をするだけ。いつしか三島は女言葉を使うようになっていきました。こうして三島は自分の容姿に強いコンプレックスを持っていくようになりました。その反動から、荒っぽいもの、男らしいものに強い憧れをもつようになったということです。
 運命とも言える出会いを果たした三島と美輪。後に三島は江戸川乱歩原作「黒蜥蜴」の戯曲を書き上げて美輪をくどきおとし、主役に迎えています。
この作品は深作欣二が監督を務めて、映画化もされ、アメリカやフランスなど海外でも高い評価を受けました。
昭和29年、三島29歳のこの年に、誕生した大ベストセラーが「潮騒」です。
初江と新治、ふたりの若者を主人公としたこの作品は、吉永小百合、山口百恵...と5度も映画化をされたほどの人気作品。
さらにその2年後、三島、最大の代表作が登場します。金閣寺こと京都・鹿苑寺で実際に起きた放火事件を題材とした「金閣寺」。
金閣寺の美しさに魅入られ、犯罪者となる以外に道を見つけられなかった若者の苦悩を描ききったこの作品は、昭和31年のベストワンにもあげられ、「戦後文学の金字塔」ともたたえられた。、「わが肉体は美の神殿」と、ヌードまで披露したのです。昭和36年、三島36歳。三島は映画監督まで務めました。「私のすべてがこめられている」と語った短編「憂国」。
2・26事件の外伝を描いたこの作品は、自らが監督・脚本、そして主演を努める形で映画化されました。

続きはまたの次回に

  


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2017年01月15日

【愛と希望と勇気の日】

《タロとジロの日》1月14日は
 1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加した。
1958(昭和33)年、第2次越冬隊を送り込む為再び「宗谷」は南極に向かったが、厚い氷にはばまれて断念。11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされた。
 翌1959(昭和34)南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存がヘリコプター確認された。
南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包んだ。
 国民は涙し喜んび万歳万歳し喜んだニュースが流れた。
ジロは南極で死亡したが、タロは5年後に日本に生還して北海道で余生を過ごした。
東京タワー下に南極観測カラフト犬・タロとジロを称える石の像が有る。

初代南極観測船『宗谷』
当時はまだ敗戦の影響が残っていて、国全体が貧しかった時代。それだけに南極計画を復興の糸口にしたいという国民の期待は大きく、現在のオリンピックやサッカー・ワールドカップの選手団以上の期待を背負っての旅立ちであった。大群衆に見送られ、港中の船がいっせいに汽笛を鳴らして門出を祝福したと言われる。
建造された船では無い。それどころか、この時すでに建造18年の老朽船だった。普通、船の寿命は20年ほどだと言われる。地球上で最も危険な海域への航海に使用したのである。仕方がない、国に費用が無かったのだから。宗谷は小さな船南極までたどり着くのは無理だとの意見を述べる者もあった。

 宗谷の出力は4,800馬力。同時代アメリカの砕氷艦バートンアイランド号は13,000馬力、大人と子供ほどの差がある。その、非力な老朽船で「接岸不可能」と言われた。
不思議な「運」が付いていると言われる。
戦争を生き延びた宗谷は、終戦後間もなく、戦地や大陸からの帰還者を運ぶ引き揚げ船として働くことになる。
 宗谷を建造したのは、長崎県の香焼島にあった川南工業という造船所。
宗谷は現在、お台場にある「船の科学館」に展示されている。しかし今では船底の痛みが激しく、大修理しなければ沈んでしまうかもしれないそうだ。無理もない、建造されて68年にもなる。この船は歴史の生き証人のような船である。このまま朽ち果てさせるにはあまりにも惜しい。なんとしても保存してもらいたいとは思うが、まだ資金が十分では無いとのこと。一般の人々の協力と、また保存活動を盛り上げるため、船の科学館では「宗谷保存の募金」を行っている。宗谷という船に興味を持たれた方はぜひ、以下のH.P.をご覧いただきますよう。

「幸運」は宗谷に味方し、危険な任務にも「宗谷だけは無事」ということが続いて行く。
流氷に囲まれ身動きとれなくなった時ロシア船に助け出されたこともある。
その時も感謝し涙したものだ。こんな話知ってる人はずいぶん年とったな~ 子供時だったもんね。
初代:宗谷(1957~1962)2代:ふじ(1965~1983)3代:初代しらせ(1983~2008)
4代:しらせ・2代目(2009~)  


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2017年01月14日

【約束を守れない韓国】

『慰安婦少女像』
慰安婦を象徴する少女像が設置された。
 日本政府は少女像の撤去を求め、駐韓大使を一時帰国させるなど強く抗議。
2015年12月の日韓合意で、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」が確認された。
 韓国は国と国との合意を守らないのか。
 合意後、日韓両政府は協力して「和解・癒やし財団」を発足させ、元慰安婦の「名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やし」に取り組んできたが、韓国世論はまったく好転していない。「民意」が朴大統領に対する憲法裁判所の弾劾審判すら左右する状況では、政府であれ国会であれ、動くことができる幅は極めて狭い。この点はまず知っておくべきだ。
日本軍による性暴力の被害女性たちは、沈黙をやぶり日本政府に謝罪と賠償を求めて次々と裁判を起こしました。
しかし、国家無答責や除斥期間、二国間条約等で解決済みといった理由で、すべてが棄却されています。
日本が朝鮮半島に投資した残留資産50億ドル(欧米の殖民地だった国は、こういうものを全部払っている)
日韓基本協定で、戦時中の徴用などを含めて、無償3億ドル有償、2億ドルおよび民間投資3億ドルを拠出。
アジア女性基金で少なくとも11名に200万円の償い金と300万円程度の医療援助を行っている。
韓国は200万円では足りないので、元慰安婦に国や募金から、300万相当の見舞金を出したが、アジア女性基金からのお金を受け取った11名は対象からはずされ、迫害された。
だがまるで韓国情勢が悪いと慰安婦、慰安婦、強請りタカリ国に思える。

  


Posted by かほり at 21:49Comments(0)

2017年01月01日

【スカパー番組長崎で】

ウルトラ3怪獣グラバー邸に現れる。 観光に来たのか~ 最後は軍艦島まで 

明日はサッカー選手権は、フクダ電子アリ―ナ行くか
市船ー前橋育英試合がいいのでは、好取組だよ~ 選手の技量 戦術 どれだけ鍛えたか見れるもの
等々力は、いかん・・・ この前の試合小嶺さんらしい鍛え方だったが
DF良かった。ボールの取り方も良かった。キックの精度悪い選手が・・・個々の能力戦術悪さが目立った。
そこを突かれると負けるな。九州大会で鹿児島城西には、勝つたこと有るとやろ~ 勝つたいね~
芽立ちが利屋の小嶺さん元気にしとらした~  


Posted by かほり at 21:11Comments(0)