2017年08月11日

【永井秀樹の人生】

【大分の少年サッカーのヒーロー引退】

 1983年 - 1985年 大分市立明野中学校1986年 - 1988年 長崎県立国見高等学校2年生で準優勝3年生で優勝卒業後、

 1989年 - 1991年 国士舘大学国士舘大学に入学しバルセロナオリンピック最終予選に出場するも、本大会の出場権を取れなかったことで大学を中退し、
 1992年 -にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団[1]。
1997年 日本の旗 ヴェルディ川崎 1995年 ジャパンフットボールリーグの福岡ブルックス (現 アビスパ福岡)(期限付き移籍)
1996年 清水エスパルス(期限付き移籍)後翌年にV川崎に復帰。
1998年 横浜フリューゲルスに完全移籍。消滅に伴って
1999年 - 2000年 横浜F・マリノス
2001年 - 2002年 東京ヴェルディ移籍2002年に東京Vから戦力外通告を受けて解雇され、しばらく無所属であったが・・・
間の2年は建設業(水道屋)でサッカーをやった。「サッカーが好きで諦めきれなかった。」小嶺総監督に秀樹をどうにかしろお願いした。
2004年 大分トリニータで復活するが。2試合に出場したのみで再び戦力外通告を受ける。 大分の少年サッカーのヒーローだったから・・・高校で国見を選んだので。
「裏切りもの扱いされた」
2005年 6月に FC琉球と契約。
2006年 - 2007年 東京ヴェルディJ2降格になった古巣東京Vに復帰し、東京Vでのかつてのチームメイトであるラモス瑠偉監督のもとJ1昇格を狙った。スタメン出場こそほとんどないものの、ここぞの場面で流れを変えるスーパーサブとしてラモスからの信頼を得た。
2007年、日本フットサルリーグのバサジィ大分の取締役兼スーパーバイザーに就任。
2008年、ヴェルディ側のフロントと対立し、自身のブログでヴェルディ退団を発表。
2008年 - 2013年 FC琉球
2008年6月25日、FC琉球へ復帰した。なお、FC琉球では毎年自身の年齢を背番号にしていた。
2014年 - 東京ヴェルディ東京Vに入団した。7年ぶりの5回目の復帰となる。
2016年11月10日、2016年シーズン限りでの引退を発表した。
永井秀樹ユース監督兼GM補佐

「どうやら、左の肋骨が折れちゃったみたいでさ。
(J2リーグ第35節/10月4日vsコンサドーレ札幌)で接触があってね。まあ、相手も悪気があった訳じゃないし、バキッとなったから『やばいかな』とは思っていたんだけどさ。

まあ、サッカーを続けていたら、みんなどこか痛いもんでしょ? このくらいが、サッカー選手らしくていいよ」あけすけに彼は言い、錠剤を水で飲み込んだ。

永井秀樹は、44歳で現役サッカー選手を続けた。足元のいい選手だった。

【VERDY LEGENDS vs J LEGENDS 【日時】2017年8月14日(月)18:30キックオフ(16:00開場)

【会場】味の素フィールド西が丘(東京都北区西が丘3丁目15)【主催】公益財団法人日本サッカー協会、公益社団法人日本プロサッカーリーグ
『前座試合』
国見高校OB vs 帝京高校OB  ※両チームの出場選手は決まり次第、順次発表

久々に托された国見旗、タオル、トラメガホン持って行くか~国見旗何十年ぶりに出すかな
少しボロボロに・・・旗を眺めながら過去の試合を思い出し涙する。
会場に行ったら大泣きしちゃうな~ 苦労したよね『永井秀樹ご苦労さん』




 
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